「SANTA」サムルノリリーダー 閔英治(ミンヨンチ)さん
取材日:2005年10月15日(土)

創作音楽界の若き巨匠
生年月日:1970年5月14日 戌年・牡牛座
出身地:大阪市西成区 在日3世
本籍地:韓国 慶尚北道
血液型:B型 4人兄弟の3番目

金剛学園(幼・小・中・高)を卒業後、韓国国立ソウル大学音楽学科へ進学。
高校時代には韓国国立国学高校(李王朝雅楽部養成所)へ留学経験有。

《主な経歴》
東亜日報主催東亜コンクールテグム部門入賞
第2回サムルノリ競演大会個人の部金賞
アメリカ・日本公演、オーストラリア音楽祭招待公演
大阪府広報市内「OSAKA Fu’s WHO 1995大阪の30人」に選ばれる
チョン・ミンファのカーネギーホールコンサートにチャンゴで出演
韓国重要無形文化財第1号‘宗廟祭礼楽’テグム継承者

そんな閔英治さんを民団愛知が独占取材!翌日にワークショップを控えたご多忙の中、我々の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれました。
幼い頃の苦い思い出や苦労話、チャンゴとの出会いなど盛りだくさんの内容となっております。
閔英治さん QUESTIONS&ANSWERS
QUESTION
ANSWER
幼少期はどんな生活でしたか?

家が電車の通るすぐ脇にあった為、電車が通る度に音が聞こえ、その音が自然に体に染み付いた。それが今の音楽の原点であると思う。

音楽をやろうと思ったきっかけは?

兄弟の4人全員が音楽をやっていたので、その影響もあった。金剛学園のブラスバンド部では、ドラムやトランペットなどあらゆるジャンルをこなした。チャンゴへの興味はここで芽生えた。

当時の語学力は?

当時は韓国語は全く話せず、金剛学園でも特別韓国語教育に力を注ぐでもなく、日本の学校で言う英語の授業と同じようなものだった。

なぜソウル大学へ進学?

日本での演奏を見て金永東(キムヨンドン)氏(韓国国楽作曲家)が、「是非私の母校へ」と半分強制的にソウル大学音楽学科へ進学させられた。楽器は当時「チャンゴ」がなかったので「テグム(※)」を選考した。

※ テグムとは・・・竹でできた横笛で、韓国の伝統楽器の中でも代表的な管楽器。

どんな大学時代でしたか?

怒られることがあったが、韓国語がわからないため怒られているのはわかったが、何が理由で怒られているのかわからなかった(笑)。体育の先生に運動場の真ん中でいわゆる罰として愛国歌(※)を1番から4番まで歌わされたこともあったが、歌い終わった後、窓から眺めていた全校生徒に拍手をされた。韓国では“パンチョッパリ”(※)と差別されていたこともあり、この出来事は大きかった。

※ 愛国歌とは・・・大韓民国の国歌。言葉のとおり『国を愛する歌』を意味し、祖国に対する愛を確認する為に全国民が歌う歌。通常は1番のみを歌う。

※ “パンチョッパリ”とは・・・ 侮蔑の表現。主に在日韓国人を蔑む表現。“パン”とは「半分」を意味する。“チョッパリ”とはもともと「豚の足」を意味する。豚の足の爪は二つに割れているが、下駄を履く日本人の足の指も、親指と残りの指が大きく二つに分かれていて、まるで豚の足のようだと韓国人が日本人を馬鹿にする表現。つまり、韓国人なのに、半分日本人みたいな卑しい輩という意味で使われる言葉。

サムルノリとの出会いは?

金徳洙(キムドクス)(※)氏との出会いが大きかった。私自身、心の中でずっと金氏を尊敬していた。公演には必ず行き、毎回一番前の席で見ていたので顔を次第に覚えてもらった。大阪の「ワンコリアフェスティバル」で初めて会話をしていただいた。金徳洙氏主催の「第2回サムルノリ競演大会個人の部(打楽器)」で金賞を獲得した時、金氏より「うまかったから」と褒められた。

※ 金徳洙さんのプロフィールは「Planet Arts」のホームページに掲載されております。
「閔英治」とは何ですか?

音楽家。チャンゴだけでなく、作曲や笛などいろんなことを手掛けているので。

「SANTA」との関りは?


本腰を入れてやっているプロジェクトチームである。2002年日韓共催ワールドカップサッカーで初めての活動で全国を回った。現在はソロよりもSANTAとしての活動が主体。素晴らしい先輩方がいるから活動しやすい。

これまでの歩みは?

どこからもバックアップされずに今までやってきたことは自分でも褒めてやりたいこと。ここからさらに大きくなるにはこれでは限界がある。周りを固めていきたい。

やめたいと思ったことは?

一年中毎日のようにやめたいと思っている。しかし、曲作りがあるため「またやらなければ」と作り続けている。

「SANTA」が目指すものは?

日本の歌謡界に影響を及ぼしたい。日本で活躍する有名アーティストに呼ばれて「曲の中に韓国系のものを入れたい」と作曲依頼されることが目標。

「SANTA」現在の活動は?

ワークショップ(※)
が中心で「サタデーチャンゴフィーバー」(※)の企画へ移行することが多い。どこからでも依頼があれば指導をしに行くが、1回だけでは身につかないので、教えたことを繰り返し習える形を作りたい。

※ ワークショップとは・・・講義など一方的な知識伝達のスタイルではなく、参加者が自ら参加・体験し、グループの相互作用の中で何かを学びあったり創り出したりする、双方向的な学びと創造のスタイル。

※ サタデーチャンゴフィーバーとは・・・コチラ

ワークショップはどれくらの規模で行なっている?

日本各地でワークショップを展開しているが、ワークショップをした者同士の横のつながりがないのが悩みの種。在日韓国人のネットワークがないから始めようと思ったのが「100人チャンゴ」(※)である。

※ 100人チャンゴとは・・・コチラ

創作音楽とは?

作曲段階での葛藤から始まるのが「創作」。創作にもいろいろある。新しいものをつくらなければならないから作る「創作」、韓国舞踊の敷居を低くしたのも「創作」。創作音楽は、一般の人には理解できないことが多いが、初めて大衆を相手にした国学界での先駆者は金徳洙氏である。

閔英治の夢は?

ずばり「音楽」。世界ではなく日本を発信の拠点として全国へ。沖縄の音楽のように最初は誰も興味を示さなかったが、今は若者から大人まで知らない人はいないほど知名度が上がっている。そういうものをやっていきたい。

閔英治の目標は?

もっと勉強して日本に国楽院(※)を作りたい。今を生きながら新しいものを発掘していくのが大事。ライバルは本国ではなく、日本国内でライバルを作り、争うことが大事だと思う。

※ 国楽院とは・・・ソウルにある国立国楽院は、口頭でのみ伝えられてきた韓国の伝統音楽と踊りを体系化するために設立された。ソウルを訪れる外国人や、伝統国楽をよく知りたいと思っているソウル市民に、高水準の文化を体験できる場を提供している。

最後に在日へのメッセージをお願いします

(あんまり偉そうなことは言いたくないが)在日だからできる商売、在日だからできる音楽があると思う。しかし、重要なのは何でも継続すること、持続すること、あきらめないことだと思う。

閔英治さん、ありがとうございました!!
 
   

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